こんにちは、さだぢです。
現在デジタルアーティストとして色々やってるんですが、自分の働き方と作業量を見直した時に「あれ?やろうと思えば年収1000万円に到達する?」と気付き考えたもののその道を選ばない理由について。
若干釣り要素はあるものの、自分の持論。
目次
年収1000万円を稼ごうと思った場合の内訳
最初に言うけどぶっちゃけ会社勤め一本だと無理(^q^)
普通に社員で稼ぐイメージは全く湧かない…。
ただそれ以外の働き方であれば結構現実的かなぁと最近は思えるようになりました。
今から1000万円稼ごうと思った場合の内訳としてはこんな感じ。
- フルタイムの業務委託
- フリーランス案件(制作等)
- 個人のマネタイズ(ブログやnote等)
もう少し掘り下げて例を挙げると以前アートディレクターとしてスカウトされた企業の提示額が490万円でした。(当時とった戦略等は別途書いてるので興味あれば)
雇用形態は正社員で副業禁止だったので断ったところ業務委託契約でどうか、という話になりこちらも承諾せず…業務委託の額は聞かなかったので何とも言えないものの会社負担の年金、保証等が無い分一般的には10~50%上乗せなので見積もりは550〜700万円前後。(登録してる転職サービスで今もディレクター、デザイナー、プランナー、マーケターのいずれかで年収400~600万円でスカウトの類が来るので現時点でも取れる選択肢かなぁと)
そしてフリーランスとして今やってる仕事も拘束案件は無いものの今年の売上ベースで600万円前後で労働時間は会社員の時の半分以下。正直自分の収入を書くのは抵抗あるけどもういいや
みたいな感じなので週5の業務委託を請けながらスキマ時間で今の仕事をこなせば年収1000~1200万円はキツいけど理論上可能ではある…。
ただこの選択は取りたくない。
忌まれるニート体質
昔は公に言うのをためらったんですがニート体質です…。
自分にとってお金は「やりたいことを得る」ためでは無く「やりたくないことを回避する」ためのツールで、意識高いこと言ってても半年間何もしないでふらっとすることもある。昔はネトゲ廃人
例え年収1000万円稼げるとしても365日労働するなら全く魅力的じゃないし、逆に年収200万円程度だけど労働が0日で済むにはどうすればいいかを本気で考えてるような人種だったりします。ブログ名の「神絵師だけどニート」は印象のギャップ差を狙ってるのもありますが、自分自身の属性を表してる側面も…
これが根底にある価値観。
そして選択しない理由の一つ。
労働集約的な働き方の先にある道
自分は会社員時代に裁量労働制で1日12時間「作業」労働を普通にしてました。
「慣れ」から確かに作業は早くなるものの、可処分時間が無いのでスキルの習熟度を高めることが出来なければ新しい知識も身に付かず新しいことに挑戦する余裕も無いので「末端の作業者」から抜け出せない…。
そんな経緯から「もっと余裕のある働き方で時間を作らねば…」と会社を辞めて派遣社員として余裕のある現場を選んで働いてた過去があります。ただ結果的に「末端の作業者として業界入りした選択」も「派遣社員として時間を作って働く選択」も活きてるので初期の生存戦略として使える
フリーランスで働いてる人も「時間がある」状態を暇と捉えて不安から確実に収入を得られるクライアントワークみたいな仕事をガンガン入れてる人が多い印象ですが、これは時間とスキルの切り売りになる上に限界がある…歳をとった時に色んな意味でキツい。しかもプレイヤーとして1000万円稼ぐ人の労働時間地獄よ
といった観点からも労働集約的な働き方で365日仕事して1000万円稼ぐのはどうなの?と…。
収入が減っても資本づくりに時間と労力を注ぐ
可処分時間の多くを労働収入に当てるのは違くて、真面目に考えるなら労働で生活費を稼いだら残りの時間は資本作りを意識した働き方をするべきだと個人的には思ってます。
自分なら収入が減ってもその時間を作りたい。
資本、って言うと分かりにくいと思うのでイメージとしてこんな感じ。
- 食洗器…食器を洗うために使ってた「時間」を得るために買う
- 読書…一人ではたどり着かない先人の「知恵」で考える力を高める
- オウンドメディア…営業や収益を「半自動化」するための仕組み作り
- スクール…新しい知識や技術習得、スキルアップのために学ぶ
- 商品…自分が権利を有する「漫画」「グッズ」「版権」等の制作
みたいな、稼いだお金を元手に富をもたらす源泉を増やしていくような感覚。
付加価値を高めれば生産性は上がるし仕組み作りに注力すれば労働時間を減らせるし自分の資本を増やすような働き方はセルフブラックでも時間と労力を費やす価値はあるのかなぁと。最近はこういったことを意識して仕事してます…!
一貫して意識してる「わらしべ長者」の戦略
「自由度の高い生き方がしたい」という願望はずっとありました。
ただ当時の自分には出来なかったので「末端の作業員」として就職したんですが、会社員として働き始めた当初から「わらしべ長者」の最初のワラを作る、という意識はずっと持ってました。
ある一人の貧乏人が最初に持っていたワラを物々交換を経ていくにつれて、最後には大金持ちになる話である。今日では、わずかな物から物々交換を経ていき最後に高価な物を手に入れることに対する比喩表現としても使われる。
つまり最初に作った実績や培った経験を元手に「社会的信用のある仕事」「単価の大きい仕事」「活動の幅が広がる仕事」を獲得して上位レイヤーに行く足掛かりする、の繰り返し。
意識は常に「収入を増やす」ことではなく「ラクになる」ことに向いてました。
働き方の価値観
稼げるようになると比例して生活レベルを上げる人多いですが「生活レベルを上げたい」「贅沢したい」みたいな欲が無い。これは自分の気質に由来する部分もありますが
お金より大事なものがあるみたいなこと言うつもりは毛頭ないですが、「お金」に依存して手綱を握られてる状態は不自由だと思ってるので理想は金銭的な部分とは切り離したシンプルな生き方。
今はこういう感覚の人増えてると思います。
労働集約的に稼げても望む生き方に繋がらない。
意識は低く研ぎ澄ます。
イズムを以てなっていくのが理想。
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